大阪府堺市で不動産と建築なら有限会社エイショウハウス

有限会社エイショウハウス

営業時間9:30~18:00

定休日 第2,3火曜・毎週水曜

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会社概要

ごあいさつ

私たちエイショウハウスは、「快適家」をコンセプトに住まう人の気持ちになり様々なお客様の住まいづくりをお手伝いしてまいりました。
「家づくり」はまさに「夢づくり」です。その夢をお客様の理想の通りのカタチで実現できるようこれまで培った知識と経験、そして高い技術力を持って一つひとつの仕事に取り組んでまいります。
また、住まいづくりは家が建ったら終わりではありません。時とともに変化してゆくご家族の夢やカタチに、いつまでも対応するために、企業理念である『私たちは「夢・感動・豊かな未来」を創造するエイショウハウスです。』この3つのキーワード「夢」と「感動」と「豊かな未来」を軸にお客様と一緒になって住まい造りをして行きます。
また、しっかりとしたアフターフォローとメンテナンスも必要です。お引き渡しをしてからが「始まり」。当社はそう考え大切なお住まいをいつまでも支えていくことをお約束します。

有限会社エイショウハウス 代表取締役 浅香 隆一

概要

名称
有限会社エイショウハウス
住所
〒591-8002
大阪府堺市北区北花田町2丁28番地
代表
浅香 隆一
設立
平成元年10月25日
TEL
072-258-5315
FAX
072-251-1531
URL
https://www.eishou-house.co.jp
E-mail
info@eishou-house.co.jp
営業時間
9:30~18:00
定休日
第2,3火曜・毎週水曜
事業内容
不動産業
建設業
所属団体
(一社)大阪府宅地建物取引業協会会員
(公社)近畿地区不動産公正取引協議会加盟
免許番号
大阪府知事(8)第34135号

軌跡

1970年
■創業への思い■

子供のころから、父親には尊敬し憧れていた。仕事に対しては真面目で厳しく、子供に対しては優しい父親の背中を見て育ってきた。そのせいか、いつしか父親のような人物になりたいと強く思うようになり、父親のしている不動産の仕事を心に意識するようになった。同時に、学生時代は「人を楽しませ幸せにできる仕事につきたい」と(吉本興業でお笑いの道に進みたいと)も密かに思っていたこともあった。
これらの思いが、その後の社会人生活の様々な経験を通して、不動産事業と「人を楽しませ幸せにできる仕事」を融合させる会社を創っていくことになる。
1970年1月
■修行時代と葛藤■

校卒業後は、アメリカの織物機械製造会社、LED掲示板販売会社、建具屋、大手不動産会社で約10年間経験を重ねた。
どの仕事の中でも、持ち前の明るい人柄と粘り強さで、苦労しながらも順調に成果を上げて行った。その一方で、一貫して募っていったのは、現実と自分が理想とする形のギャップからくる葛藤であった。理想とは「自分の自信のある商品を、自信のある方法で売り、自信を持ってお客さまを幸せにしたい」という思いであった。
そして、その思いを胸に、かねてから進めていた計画を、ついに決行するのである。1995年エイショウハウスの創業である。
1970年1月
■創業当初■

折しも90年代半ばの不況の真っただ中、銀行の貸し渋り時代であった。設立・運転資金は誰の力も借りず全て個人でまかなった。これが後々の力、自信にもなった。
一人で物件の仕入れ~広告~販売~管理に奔走した。それまでの経験で培った、知識、ノウハウ、人脈などを活かし、コツコツと仕事をこなしていった。地域密着型の活動により、ゆっくりではあるが、着実に信用をつけていった。
1970年1月
■第一飛躍期■

5年後(2001年)、打って出た。銀行から資金を調達した。そして、学生・会社時代の親友の太田、西本が参画した。信頼のおける二人の加入は、会社の発展に大きく貢献した。
事業は大きく拡大した。順調に行き喜びも感じていたが、同時に社長の気持ちは複雑だった。「これで本当にお客さまを幸せに出来ているのか︖」「自信を持った商品を、自信を持ってご提供できているのか︖」。
何度も何度も3人で議論を重ねた。
1970年1月
■第二飛躍期■

そして2007年、更に打って出た。「自分たちが自信を持って創った商品=家をご提供」するのである。大手工務店で建築監督をしていた重田が参画する。長年の経験といぶし銀の風格を兼ね備えた重田の加入は、会社のレベルアップ、事業拡大に大きく貢献した。「家族全員が長く快適に暮らせる」ことをコンセプトの「快適家」は、初年度で20棟を建設し順調に拡大していた。社員は忙しさを楽しんでいた。
1970年1月
■揺れる自信■

危機は忍び足でやってきていた。そして、2008年9月リーマンショックが起こった。市場が値崩れし冷え込み、建築した家が売れなくなった。これまでの自信が大きく揺らいだ。苦悩した。眠れない日々が続いた。。。
事業・商売をする怖さを味わった。と同時に、自分たちの存在そのものについて再度考え続けた。。。
「商売とは何なのか︖」・・・
「自分たちの存在意義はなんなのか︖」・・・
「自分たちの本当にしたいこと、すべきことは何なのか︖」
1970年1月
■第三飛躍期■

2009年2月、関西電力主催の経営セミナーに参加した。テーマは「ビジョンを軸に『成果の出るイキイキ組織』をつくる」だった。その内容に衝撃と共感を覚え、すぐに講師を会社に招き毎月の勉強会を始めた。
当初は戸惑いながらも参加していた社員も、個人のビジョンや会社のビジョンを語り合うことで、職場が明るくなり個人間のコミュニケーションも良くなった。
そして2009年10月に2日間の合宿を行い、苦闘の末に経営理念を自分たちの力で創った。「私たちは『夢、感動、豊かな未来』を創るエイショウハウスです」という理念は、皆の気持ちの拠り所となり、更に社員を勇気づけ、一丸となった。
1970年1月
■揺るぎない信念■

今では、この経営理念「私たちは『夢、感動、豊かな未来』を創るエイショウハウスです」は、「よく切れる刀」となっている。
経営、営業、日々の業務の判断で迷った時に、この理念に立ち戻り決断する。
社員全員で創った理念なので、ブレないのである。LP(ライフプラン=人生設計)型営業、お客さまが主役で協力会社の職人さんも輝く現場、協力会社さんも含めたチームワークの良い社員間のコミュニケーションのある職場は、以前から考えていたことだったが、この経営理念で明確で確実なものとなった。
1970年1月
■今の思い■


学生時代の「人を楽しませ幸せにできる仕事をしたい」という思い。修行時代の「自信を持った商品を、自信を持ってご提供したい」という思い。それらが融合した会社になってきた。
しかし、本当の勝負はこれからだと、思いを新たにしている。
進むべき目的地という「未来イメージ」、進むべき目的という「存在意義」、どのように目的地に到達するのかという「行動指針」が整理され、今やっとスタートラインに立った感じがする。
信頼し共感し合える社員や協力会社の皆さんと、このビジョンの下、私たちの「夢、感動、豊かな未来」をこれからも一緒に実現していきたいと思っている。

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